考え、使うべき言葉
静岡市立長田南中学校 3年 遠藤 律來

 僕には妹がいる。ふだんは仲がよいのだが、この前、少しけんかをしてしまった。きっかけはたいしたことではなかった。しかし、売り言葉に買い言葉で、だんだん僕もイライラがつのり、ついひどい言葉を投げつけてしまった。
 それが口から出たとたん、「しまった、言い過ぎた」と思ったが、もう元に戻すことはできなかった。妹の目に、みるみるうちに涙がたまっていった。
 すると、今まで黙って僕たちの様子を見ていた母が僕を呼び、こう言った。
「ちょっと言い過ぎたよね。『ごめんなさい』を言いなさい。」
僕はしばらく黙っていた。確かに僕はひどい言葉を言ったが、とっさに出てきたことだし、本心ではなかった。妹だって、かなり僕に暴言を吐いていたし、けんか両成敗だろう。そんな思いが、素直に謝ることを拒ませたのだと思う。
 そんな僕に、母は、
「伯父さんの手紙を忘れたの?」
と尋ねてきた。僕は、はっとした。
 伯父さんとは、母の兄に当たる、優しく、いつも穏やかな人だった。体が丈夫でなかったのか、何年も病気をわずらい、四年前に他界した。
 伯父さんが亡くなった後、家を整理したら、とてもたくさんの手紙が出てきたらしい。その中には、ほとんど伯父に会うことのなかった、僕や妹あての手紙もあった。
 母からその手紙を渡され、僕は読んでみた。そこには、言葉についての伯父の思いが書かれていた。

 言葉というものはとても重いものだ。体の傷はすぐに治るが、言葉によってできた心の傷は簡単には治らない。
 だからこそ、言葉は大切に使わなくてはならない。しっかり言葉の意味を理解し、きちんと考えて使ってほしい。

 当時小学校四年生だった僕には、多少難しい内容だった。だから、何度も取り出して読んでみた。成長すると共に、だんだん伯父がとても言葉を大切にしていたことがわかってきた。
 命の火が一日一日と弱くなっていく生活の中で、伯父がどんな思いでこの手紙を書いたのかを考えると、胸がしめつけられる思いがした。
 伯父さん、僕のことを考えて、この手紙を書いてくれてありがとう。そう思い、言葉を大切にすることを誓ったはずなのに、妹とけんかをして、興奮した僕は思わずナイフのような言葉を投げつけていた。はずみだから仕方がない。そんなのはいいわけだ。今、僕が妹を傷つけたという事実、それに気づいた僕の口からは、「ごめんなさい。」の言葉が自然に出てきた。
 先日、国語の授業で、「覆水盆に返らず」という故事成語を勉強した。こぼれてしまった水は、もう二度と器に戻すことはできないという意味だ。
 口から出た言葉も同じだ。一度発した言葉をなかったことにすることはできない。だから、言葉は大切に、慎重に使わなくてはならないのだ。一時の感情にまかせて、人を傷つけてはならない。相手は目に見えない大きな傷を負っているのかもしれないのだ。
 伯父の言葉をもう一度読み返してみた。
「もしかしたら、伯父さんも、言葉が原因で、昔、大きな失敗をしたのかもしれない。だから、僕や妹にそんな思いをさせたくなくて、この手紙を残してくれたのかもしれない。」
そんな気がしてきた。
 言葉は鋭利な刃物となり、人を傷つける。しかし、言葉は、優しく人を慰めたり、人に勇気を与えたりすることもできる。大切なのは、言葉そのものではなく、言葉を扱う人間の方なのだ。
 わかったつもりでいても、これから僕はたくさんの失敗をするだろう。人を傷つけたり、逆に傷つけられたり、苦しい経験もたくさんするだろう。しかし、言葉はとても大切なものであることを忘れず、自分の発言にはきちんと責任をもちたい。
 失敗をしたときは、再び手紙を取り出し、伯父さんの言葉を読み返そうと思う。そして、言葉はとても大事なものだということを、いろいろな人に伝えていこうと思う。

兄弟げんかの中で思わず口にしてしまった言葉から、自分自身をよく振り返ったことが伝わってくる作品でした。小学校4年生のときには、実感を伴わなかった伯父さんの手紙の言葉が、遠藤さんの経験と成長によって、より重みを増したことも感じられました。