共に生きる 〜美しい富士の国の私たち〜
磐田市立南部中学校 3年 大島 実恩

 みなさんは、三保の松原から富士山を眺めたことがありますか。父の仕事の関係で、タイに五年半住んでいた私は、最近になってようやく富士山の雄大な姿やその美しさを目にすることができました。一体どうして富士山は、あのように美しいのでしょうか。そんなことを深く考えさせられた出来事が、私にはあったのです。
 タイで私が住んでいたところは、バンコク市内の都会でした。日本人駐在員が多く住んでいたためか、タイ語を話せなくても、困ることはあまりなく、海外に住むことは、思ったよりも難しくはないと感じていました。でも、その考えが大きく変わったのです。日本人学校の行事の一つであった『交流学習会』で、同じ年の現地の子と、互いの文化を教え合うという機会がありました。私もあらかじめ練習した折り紙や習字を何とか伝えようとしましたが、相手の子は首を傾げるばかりでした。言葉の大きな壁を感じた私は、相手の子が私に話そうとしていたことも、きちんと聞くことができませんでした。この日、私は初めて自分が住んでいる環境がどれだけ恵まれているのかを知りました。外国に住んでいるのに、日本語で勉強ができ、日常生活にもさほど支障はなかったのですから。でも、もし現地の学校に通わないといけなくなったら、おそらくとても大変で、不安のために悩んでしまうと思ったのです。
 日本に帰国し、昨年、私のクラスにフィリピンから転入生がやってきました。日本語が全くわからない彼は、一体どんな気持ちで毎日を過ごしていたのでしょうか。私は大丈夫なのかと気にはしながらも、なかなか勇気が出せず、手助けができませんでした。しかし、彼はサッカー部に入り、そこから交友関係を広げていき、英語でコミュニケーションをとったり、日本語を積極的に使ったりしています。一緒に授業を受けている姿を見ると、すごいなといつも感心していました。彼からは日本の生活や学校になじもうとする努力や覚悟が伝わってきます。つまり大切なのは、言葉が理解できるということ以上に、「相手のことをわかろうとする姿勢」なのではないかと教えられたのです。
 『交流学習会』の際、私は、タイ語や英語が上手に話せれば……と、勉強不足を理由にして、本当はきちんと相手に向き合っていなかったのではないかと思い直しました。「相手のことを知りたいと思う気持ち」や、「相手の歴史や文化、生活から学ぶ態度」、そして、何より私自身が「相手に伝えたいもの、わかってほしいこと」をしっかりともっていれば、言葉の壁は乗り越えられ、互いに通じ合うことは可能だったのです。
 来年に東京オリンピックを控えてか、最近『多文化理解』という言葉をよく耳にします。多くの外国の人々を迎えるために、わざわざどうしようかと構えるのではなく、まずは、今一緒に生活をしている外国の方々のことをもっと知り、互いに理解しあうことが大切なのではないでしょうか。
 私の学校には、フィリピン、ブラジル、ペルー、ベトナム等を出身とした友達が何人もいます。国や市等の行政が、彼らの生活を支援したり、交流の機会を設けたりすることも必要だと思います。でも、そのようなシステム以上に求められるのは、「一人の人と一人の人のつながり」なのです。私たちは、みんな同じ中学生として、笑ったり泣いたり、そして夢をもっています。身近な友達のことを、もっともっと知ろうとし、分かり合おうとし、本物の仲間になっていきたいです。
 改めて私は考えます。富士山は、広大な裾野があるからこそ、日本一の高さを誇り、均整のとれた美しい姿なのです。私たちの生活も同じです。裾野を広げる、つまり多くの国の人々が互いを理解しようとし、共に生活を創っていくことによって、富士山のような美しい世界ができるのではないでしょうか。
 共に生きる。美しい富士の国を、これからの私たちが創るのです。

「富士山は、広大な裾野があるからこそ、日本一の高さを誇り、均整のとれた美しい姿なのです。」大島さんの文章のこの言葉に共感しました。真の国際理解のため、「広大な裾野」の一部である私たちが、互いを理解しようとする心がけが大切だ、ということに気づかせてくれました。