「弟のふつう」と「私のふつう」
菊川市立河城小学校 6年 稲垣 愛子

 「みなさんのふつう」って何ですか?私の弟は発達障害という障害をもっています。そのため、コミュニケーションがうまくとれなかったり、パニックを起こしたりします。弟は今まで周囲から「うるさい」「きもい」など心ない差別を受けてきました。私はそのような差別を耳にして、なんで弟はふつうじゃないの?と落ちこむことがありました。「私のふつう」と「弟のふつう」にはちがいがあるからです。しかし、弟がみんなと一緒に頑張って勉強している姿を見ると、弟はこれでいいんだと思うようになりました。そして、障害をもっていても、もっていなくてもみんなが胸を張って輝ける世界になってほしいと思いました。それを実現させるためには自分から行動に移す必要があります。そのため、私は皆さんに二つのことを提案します。
 一つ目は、「一人一人のちがいを受け入れること」です。弟は発達障害だからという理由で周りから馬鹿にされることがあります。私にはそれが許せません。なぜなら、弟はみんなの知らないところで人一倍努力しているからです。障害があるために上手にできないことも多くありますが、それ以上に私に「自分らしく生きることの大切さ」を教えてくれました。私たちは障害者のできないことばかりに目を向けてしまいがちですが、障害者も、みんなと同じように、悔しいときは泣き、楽しいときは笑って一生けん命生きています。できること、できないことが少しずれているからといって馬鹿にしていいはずがありません。私たちができることは、一人一人が努力してつくりあげた自分らしさをおたがいに受け入れることだと思います。
 二つ目は、「差別について勉強すること」です。私は今まで、周りからの弟に対する差別について悩んでいました。そのため、担任の先生にそのことを相談しました。すると、先生はすぐに行動に移してくれました。具体的には、発達障害についてみんなに理解してもらうために特別支援学級の先生が全校生徒に、「みんなちがってみんないい」をテーマとした授業をしてくれました。授業では、特別支援学級の子がみんなと同じようにやりたいことや、みんなと仲良くなりたいことなどの気持ちを紹介してくれました。また、特別支援学級の子たちも一生けん命考えていること、一生けん命やろうとしていることを説明してくれました。授業後の友達の感想文には、「みんな一人一人ちがうから一人一人の個性を大切にしなければいけないと思った。これからは困っている人がいたら見て見ぬふりをしないように気をつけたい。」「それぞれの人がみんな悩みをもっていると思うから、自分もそれに寄りそって一人一人の個性を受け止めたいと考えた。人とちがうことは悪いことではないから、みんなが自分の個性に胸を張って生活できるようになってほしい。」と書かれていました。この感想文を書いてくれた二人はその後、私に積極的に話しかけてくれるようになりました。今まで差別をしていた子も、私にあやまりにきてくれたり特別支援学級の子に話しかけてくれたりするようになりました。私はこの変化から周囲がようやく弟の個性を受け入れてくれたと感じ、とても感動しました。そして、みんなが差別について勉強することの大切さを学びました。今まで、弟の「みんなとちがう」個性は私のコンプレックスでしたが、この出来事から弟の個性は私の自まんに変わりました。
 現在、弟の発達障害という障害には決定的な治療法がありません。また、専門的な病院の数も少ないのが現状です。母が病院に受診の予約をしたところ、一年先と言われたそうです。だから、私は将来、発達障害児やその家族を手助けできる発達障害児専門の医者になりたいです。さらに、この生まれ育った菊川市で、大好きな弟と一緒にクリニックを開くのが夢です。弟と一緒にというのは、発達障害のつらさを経験している弟だからこそ障害児に寄りそうことができると考えたからです。今の世の中は、一人一人ちがう個性を悪いことだと受け止めてしまう人がいます。実際、みんな考え方や顔、体型が一緒だったら生きやすいと思います。しかし、それは自分らしさがなく輝いていない世界です。「一人一人の個性が輝いた世界」それが私、そして弟の最大の願いです。

「弟の個性は私の自まん」、文中のこの言葉には、優しさと頼もしさを感じます。弟さんを大好きだという愛子さんの思いが、確かな主張として全体を引っ張っていることが作文の力強さにもつながっています。「ふつう」と「個性」、何気なく使ってしまいがちな言葉ですが、改めて深く考えさせられます。