やさしさの連さ
浜松市立西都台小学校 6年 坂下 琴音

 私の小学校生活はなみだばかりで始まりました。入学したばかりのころ、私は学校に行きたくありませんでした。その理由は、今になっては分かりません。でも、泣いていた記おくといっしょに、思い出すことがいくつかあります。朝、「がんばったね」と言って、予定帳にシールをはってくれた担任の先生。泣かないで来られたら赤いシール、一人で来られたら金色のシールを、「特別だよ」とはってくれました。お母さんは、泣いている私を、ゆっくりと学校へつれて行ってくれました。声をかけながら、いっしょに歩いてくれたのを覚えています。学校につくと、たくさんの友達が、おはようと声をかけてくれたこともうれしかったです。
 コロナウイルスで新学期のスタートがおそくなった六年生の春。集合場所に、一年生だった私と同じように「学校へ行きたくない。」と言いながら、お母さんといっしょに歩いてきた一年生の男の子がいました。お母さんに説得されても、なかなか来られないその男の子を見て、私は自分の一年生のときのことを思い出しました。自分もああだったな、つらいだろうな、私が声をかけたら、何かが変わるだろうか。いろいろな感情が、あまり思い出したくない思い出といっしょに、一気にこみ上げてきました。私は、その男の子のところへ行き、「ゆっくりでもいいから、私といっしょに行かない?」と声をかけてみました。けれど、その男の子は首を横にふるばかりで私についてきてはくれませんでした。一度断られたから、もう声をかけない方がいいのか。そう思ったこともありましたが、その日から、私は顔を合わせたら「おはよう」と必ず声をかけるようにしました。しばらくそんな朝がつづくと、学校で会った時に、その男の子が手をふってくれるようになりました。とてもうれしかったです。いっしょに学校へ行くのは、まだ難しい時があるけれど、私がそうだったように、声をかけてもらったり、助けてもらったりすることで、安心して学校に行けるようになると信じて二学期からも声をかけて行こうと思います。辛い時、困っている時、声をかけてもらったり、だれかに助けてもらうことで、安心することがあると思います。みんなが、こんなふうにやさしい気持ちで生活していたら、困っている人が困っていると言いやすい社会になり、一人で苦しむ人がへっていくのではないかと思います。それだけではなく、なやみ事を相談できる人がいたら、犯罪や、非行がおこることも少なくなっていくのではないでしょうか。今、自分にできることはあまりないかもしれないけれど、困っている下級生に声をかけてあげられる、助けてあげられる六年生になりたいし、下級生に、「困ったよ、助けて」と言ってもらえるような人になりたいです。
 今、学校に行くことがつらい一年生が、六年生になった時、今の私と同じように、一年生の時の自分を思い出して、小さい子に声をかけてあげる上級生になってくれたら、やさしさがつながっていくと思います。こんなふうに、やさしさが連さする社会が、私の思う明るい社会です。
 来年私は中学生になります。そして、世界は大きく広がります。私の考える「明るい社会」への第一歩である、やさしさの連さの一部になって、みんなにやさしさをとどけられるようになりたいです。

人に優しくすることの大切さや、人から優しくされることの嬉しさは、誰もが知っていることですが、坂下さんの作品からは、その本質を改めて考えさせられます。体験から紡がれた思いが、読む人の心に温かく染み渡る秀作です。学校に通う全ての子どもたちの背景にこうした優しさがあることを、先生方にも読んでほしい作品です。