学校に行く必要はあるのか
藤枝市立大洲小学校 5年 大石 琉碧

 新型コロナウイルスのえいきょうで世界中が大パニックになった。学校も休校することが決まった。その知らせを聞いたとき、(授業はどうなるのだろうか。友達と会えない日はいつまで続くのだろうか。)など、心の中には次々と不安なことが浮かんできた。
 きん急事態宣言が解じょされ、学校がある毎日がもどってきた。先生から、ある投こう記事をしょうかいされた。その記事には、「リモートワークで働き方が大きく変わり、会社に行かなくても仕事ができるようになったこと」また、「オンライン授業が行われ、学校に行かなくても学習ができるようになったこと」について書かれていた。そして、最後に「学校に行かなくても授業を受けることができるのであれば、わざわざ学校に行く必要はあるのだろうか。」という疑問が投げかけられていた。私は考えた。
 学校では、勉強だけではなく、そうじや係活動、委員会活動などを通して、大人になって社会に出た時に必要なことを学ぶことができる。そうじをしっかりすれば、場所や物がきれいになり、みんなの心もきれいにすることができる。係や委員会の活動は、自分のためだけではなく、みんなのためになることを、自分で考えて取り組むことが大切だ。だから、今、何をするべきなのかを考える力がつく。
 また、学校では人と上手に関わる力を付けることもできると考える。担任の先生が、
「学校生活の中で、自分の考えを伝えたり、相手の意見を聞き、考え、さらに新しい考えを出したりして、ちょう戦し続けることが大切である。そうすると、大人になって社会に出た時、面接や会議の場面で必ず役に立つ。」
と、言っていた。人と話すことが苦手な人もいるだろう。だが、小学生のうちから少しずつがんばってみるだけで、だんだんと発表ができるようになっていくと思う。私は、五年生になって、積極的に発表するように心がけて授業を受けている。
 会社ではリモート会議が行われているのだから、リモート授業でも、話し合い活動はできる、と考える人もいるかもしれない。しかし、リモート授業の話し合いでは味わえない感覚が、学校の授業にはある。発表をするために、勇気を出して手を挙げる。「琉碧さん」と指名されたしゅん間に、全員の視線が自分に集まる。きん張感がぐっと高まったとき、私にしか聞こえないような声で「がんばれ」と友達がはげましてくれる。私の意見で「なるほど。そうか。」とみんなの授業がもり上がっていく。そんなふうにみんなとつくっていく授業の空気は、その場にいないと感じられないのではないだろうか。
 学校が再開されて四か月が経った今、友達は自分の生活を明るくしてくれる存在だと、改めて気づくことができた。友達と関わると楽しいし、支え合うこともできる。また、毎日、自分に負荷をかけて発表にちょう戦するようになってから、みんなの前で自分の意見を言うことに自信を持てるようになった。学校に来なければ、気づけないことやできないことが、他にもたくさんあると思う。このような点から、私は、「学校に行く必要はある。」と考える。

新聞の投稿記事をきっかけに考えた「学校に行く必要はあるのか。」学校生活を通して体験したことや感じたこと、身に付けたことが、具体的に描かれ、芯の通った主張になっています。「学校に行く必要がある。」ことや学校のよさを、これからも様々な機会で伝えてくださいね。