私が「お母さん」になるとき
浜松市立三方原中学校 3年 大橋 歩夏

 私には十歳年の離れた妹がいます。妹は十二月二十五日のクリスマスの日に生まれました。初めて会ったときは、小さくてかわいいなと思ったことをよく覚えています。
 妹が生まれてからは、今までの生活が一変し、母の負担にならないようにたくさん手伝いをするようになりました。また、私は片付けが苦手で、いつも机の周りがごちゃごちゃしていましたが、妹のために小さいものや危ないものはすぐにしまったり床に置いておいたりしないように気を付けなければなりませんでした。そのほかにも、おむつがえやミルクをあげたり寝かせたりと、できることはどんどん手伝いました。おむつは頻繁に変えなければならないしミルクは温度に気をつけなければならないし本当に大変でした。でも、一番大変だったのは寝かしつけです。妹はなかなか寝てくれず、子供を育てるのはこんなにも大変なことなんだと実感しました。母は妹の夜泣きや家事などで寝不足でしたが、妹の笑った顔を見ると「疲れなんて吹き飛んじゃうね」と言っていたことをよく覚えています。
 最近連日のように幼い子供への虐待や育児放棄などのニュースが報道されています。同じくらいの年齢の妹をもつ私にとって、これらのニュースはいろいろ考えさせられます。私の妹のような小さな命を守り育んでいくことはとても大変なことだからこそ、私にもできることは何かないだろうかと感じました。
 先日、母親の育児放棄が原因で二歳の女の子が亡くなりました。このニュースを聞いたとき、私はとても驚くと同時に悲しい気持ちになりました。この子の母親は「育児に疲れた」と言って、四日間も女の子を自宅に放置したそうです。私はこんな自分勝手な理由で大切な命を奪ってしまったのは、絶対にいけないことだと思います。でも、私にはその母親の気持ちも理解できます。なぜなら、妹の世話をしている私には、小さな子供を育てることがどんなに大変で疲れることかよく分かっているし、実際に疲れている私の母の姿も見たことがあるからです。
 では、このようにならないためにどうすればよかったのでしょうか。女の子は保育園に通っておらず母親には相談する人もいなかったようです。でも、そんなときこそ、地域の人に相談にのってもらったり、「子育て支援広場」などで同じ子育てをする仲間を見つけたりして、いつでも相談できる相手を作っておくことが大切なのではないでしょうか。私の母は子育て支援広場で働いています。そこには、育児の相談に来る人がたくさんやってくるそうです。こうした育児支援の輪がもっともっと広がれば、このような悲しい事件は減少していくと思います。
 民法が改正され、二〇二二年より私たちは十八歳で成人を迎えます。それに伴い、結婚するための法も改定されました。これからは十八歳を迎えれば親の許可を得ずに結婚できることになります。十八歳はまだ高校生なので、高校生夫婦もたくさん増えるかもしれません。でも、そこで命を育てることになったとき、自分たちは何をしなければならないのか、しっかりと考えることが必要だと思います。私も将来「お母さん」として自分の子供を育てる日が来るかもしれません。そして、そのときに、親としての役目をしっかりとこなし、きちんと子育てをしていきたいと思っています。
 この地球上の人類は、年齢に関係なく一人一つの大切な命をもって生まれてきます。日本以外の国では、まだ戦争をしていて食べ物も満足に食べられず、医療も受けることができずに亡くなっていく人もいます。それに比べ、日本は食べ物も豊富にあり、医療も発達しています。こんなにも恵まれた国で、あの二歳の女の子のような形で命が失われることがあってはならないと私は思います。今一度私たちの大切な命について、みなさんも考えてみませんか。また、自分が「お母さん」「お父さん」になったとき、育児に悩んだらどうすればよいのか、また、周りに悩んでいる人がいたときにはどうすればよいのか、じっくり考えてみませんか。

お母さんを身近で支え、子育ての大変さを実感しながらも、愛情をかけて妹さんと接している歩夏さんの姿が想像できる作品でした。一人ではなく、人とのつながりの輪の中で「命を育てる」ことが大切だという思いが強く感じとれました。