誰でも安心して暮らせる町に
牧之原市立坂部小学校 6年 小塩 優衣

 みなさんは、自分の町がだれでも暮らしやすい町だと感じることはありますか。
 坂部には、体の不自由な人のための施設やお年寄りのためのデイサービスの施設がたくさんあります。私たちは二年生から、そのような施設を訪問したり、交流をしたりしてきました。
 介護施設があると、介護が必要なお年寄りが家庭にいても、その家族が仕事などをしている間は、デイサービスにいてもらうことで家族が介護のために仕事を辞めなければいけないという問題がなくなります。家族への介護の負担が減ることにつながっているのです。
 デイサービスでは、お年寄りが過ごしやすくなるための工夫が数え切れないくらいあります。段差がほとんどなかったり、手すりが付いていたり、家具の角が丸くなっていたりと、利用者のことを考えたバリアフリー化がされています。
 そこで、デイサービスではなく、町の中のいろいろな施設には、どのような工夫があるのか、六年生になって調べてみました。
 初めに坂部小学校の施設について調べてみました。
 坂部小学校に車いすで入れるスロープのある場所は、体育館しかありませんでした。さらに、体育館の入口のスロープは長く、急な坂になっていて、車いすで上るためにはかなり力が必要でした。スロープを一人で上れても、玄関は段差が一センチメートルほどあるため、誰かに押してもらわないと体育館の中に入れないことが分かりました。
 次に、坂部区民センターの施設を調べてみました。坂部区民センターには、入口にゆるやかなスロープがあります。車いすの人でも簡単に中に入ることができる工夫です。大ホールのとびらは、車いすの人でも通れるように、広く開くことができます。トイレには、車いすの人でも利用できるトイレがあります。中は、車いすを動かしたり、介助をしたりしやすいように広く作られていて、高さも車いすに乗ったまま使えるように低く作られていました。手すりやきん急呼び出しボタンも取り付けられていました。他にも、部屋と部屋の段差がほとんどなく、車いすでも、平らな床のようにスムーズに動くことができます。
 このように、お年寄りがたくさん使う坂部区民センターには、利用するお年寄りのための工夫がたくさんあることが分かりました。
 しかし、施設が工夫され、バリアフリー化がしてあっても、体の不自由な人やお年寄りが暮らしやすいと言えるのかという疑問が残りました。いくらお年寄りが暮らしやすいように施設が工夫されていても、一人ではできないことはたくさんあります。
 私の曾(そう)祖母は、今、介護施設にいます。まだ家にいたころ、認知症の症状が出て、だんだん一人でできることが減ってきていました。外に出るときに玄関の段差につまずいて転んでしまったり、一人では歩けなくなったりしていきました。曾祖母も、自分一人でできることが減ってきているのは分かっていて、
「私は、何にもできなくなっちゃった。」
と口ぐせのように言うようになりました。
 そして、介護施設に入ることが決まったとき、家族のみんなで曾祖母と話したり、家族が遊んでいる姿を見せたりしました。すると、曾祖母の認知症の症状が少しだったけれど、改善されたのです。
 私は、お年寄りや体の不自由な人の暮らしに必要なのは、施設を工夫することだけではないと思います。何よりも、家族が支えてあげることが必要だと感じました。
 自分のできることが減っていくのが分かっていても治らない怖さに、家族が寄りそってあげれば、その怖さが少しはなくなるかもしれません。そんな少しの希望をもって、話したり、遊んだりする楽しい時間をいっしょに過ごせば、私の曾祖母のように症状が改善するかもしれません。
 お年寄り本人の一番の心の支えになれるのは、「家族」なのです。
 坂部は、全てがバリアフリーというわけではありません。しかし、少しでも暮らしやすくなるような工夫が、あちらこちらにあります。それに、人がとても優しいです。介護をしている人も、介護がいやという話は一切しません。それどころか、介護をしているときの楽しかった思い出話をよくします。
 そんな坂部のような、介護が必要なお年寄りも、介護をしている人も、私のような子供でも、安心して暮らせる場所が、日本中に、そして、世界中に広がれば、人々の幸せな笑顔が増えると思います。
「おばあちゃん、いつまでも長生きしてね。」

自分の住んでいる町をもっと暮らしやすい町にしたいと思っている人はたくさんいると思います。優衣さんは、自分の町の様々な施設を調べるだけでなく、体験から感じ、考えたことから、本当に大切なことを見つけたと思います。幸せな笑顔が広がっていくと素敵ですね。