命を大切に 今、ぼくにできること
浜松市立入野小学校 5年 三浦 太暉

 今年の四月におじいちゃんが亡くなった。おじいちゃんがいなくなった直後は、心にあながあき、目と心の両方からなみだが出ているような、残念で、悲しく複雑な気持ちでいた。そして、命は一つしかないとても大切なものだと改めて感じた。
 おじいちゃんとのことを思いうかべると、ぼくがやりたいと言えば毎日公園でキャッチボールもしてくれた。畑の作物の育て方や、鳥のフンから発芽した植物が何であるか知るために一緒に鉢に植えてみたこともあった。その木は後になってさるすべりだと分かった。今も大切に育てている。また、昔の人の生活が不便だったことや、昔していたまちづくりの仕事についても教えてくれた。
 失ってみて、はじめは悲しいだけであったがふと考えてみた。なぜこんなにそう失感があるのだろうか。それはおじいちゃんの生き方が、いつも自分より人のためだったからだと気づいた。そして、病気とたたかっていたが、最後まであきらめることなく自分の命も大切にしていたのだと気づいた。
 四年生の時に、命の授業でぼくたちが生まれる確立は何億分の一という奇せきのような数だと習った。おじいちゃんの死を体験し、少しだけ悲しみを乗りこえ、前を向き始めた今、ぼくはぼくの命を大切に生きなくてはと思った。
 では、今ぼくができる「命を大切にするということ」とは何だろうか。
 病気を治せる技術や、自殺を思いとどまらせようとするような、大きなことではなくもっと身近にできることを考えてみた。数億分の一でぼくが誕生したとすると今の家族、今のクラスのみんなとここに一緒に存在していることも奇せきだと思った。家族では笑顔でくらせるようにしたい。父や母からお手伝いを頼まれると、いつも正直めんどうくさいと思うが、家族の中での助け合いがうまくいけば、きっとみんな笑顔になるはずだ。こんな風に思うことも少しやめてみようかなと思う。学校では、クラスのみんなとのやりとりが身近だ。一学期は学級委員をやって、まずはみんなが仲良く、そして盛り上がることに必死だった。後になって考えてみると、ぼくも人に話す時に、つい言葉がきつくなってしまうことがあったので気をつけたいと思う。そして、クラス二十九人もちろん個性がある。個性を受け入れ合って生活していきたい。
 一人一人違うからこそ面白いこともきっとある。まずは相手をよく知り、受け入れるということが大事だと感じる。ニュースでいじめや自殺をよく耳にするが、とても悲しいことだ。今、身近にいじめはないけれど、今よりもっと温かい雰囲気に変えていけたらきっと周りもおたがいのことをよく理解しようと変わると思う。つまづいて、一人悩み自殺という辛い道を選ぶのはどうかやめてほしい。命を大切にするために、今ぼくにできる一番小さなことは何だろう。それはまず自分を知り、相手を知ることだ。みんなも自分の個性、他の人の個性は何だろうか考えてほしい。ぼくも学校生活で、勉強やその他の活動を経験して、自分の個性、長所をたくさん見つけたいと思う。そしてむねを張って、自分の長所が言えるようになりたいと思う。
 自分の長所、他の人の長所を生かして生活できているか、身近な人の長所は何なのかを考え、それをふだんの生活に生かしていきたい。一人一人の得意を生かして、認め合うクラスはきっと居心地もいいだろう。全員の力が発揮でき、おたがいに高め合えるだろう。
 おじいちゃんの死を通して、命や優しさについて考えてみた。命は失ったら戻らないとても大切なもの。だからこそこれからもぼくや周りのみんなが一生けん命にそして心地良く生きられるように自分と、みんなの個性を大切にしたい。そして、それぞれ良さを生かして学校生活を送れるよう心がけたい。
 そうすることで「命を大切にしている」と言えるのではないだろうか。

命を大切にするとは何かを、おじいちゃんが亡くなったことをきっかけに考え、自分の言葉でまとめました。おじいちゃんの姿と、あたたかい思い出と共に、命を大切にするために、今の自分ができることを一つ一つ見つめ直そうとする太暉さんの言葉に感動します。