夢の花を咲かせよう
焼津市立大井川中学校 3年 川本 倫太郎
ガラガラガラ。朝五時。今朝も畑に向かう曾祖母の台車の音。我が家の一日はこうして始まります。
次の誕生日が来れば、九十四歳になる曾祖母は、毎朝自分で作った台車をガラガラ、ゴロゴロと動かして畑へ向かい、台車のかごを花いっぱいにして家に戻ってきます。日差しの強い昼間は日陰で花を束にして、夕方はまた畑に出て水やりをします。朝と昼の気温を上手く利用して花を作り、自宅前の無人販売で花束を販売しています。
曾祖母は六十三歳の時に「新しいことをやってみよう」と考え、無人販売を始めました。最初は、無人販売の売り場を作ったもののなかなか勇気が出ずに設置するのをしばらくためらっていたといいます。その後だんだんと無人販売をする仲間が増えていったそうです。僕が幼稚園の頃、近所の仲の良いおばあさんたちと一緒に野菜や花を販売し、昼過ぎになると、一日の売り上げを計算していた曾祖母。値段はすべて百円。作業場の片隅に、みんなの名前が書かれた売り上げを入れる巾着袋がかかっていました。今は、曾祖母一人で花束を販売していますが、この無人販売には、曾祖母と関わったたくさんの仲間たちの思い出が詰まっているのです。
今から九年前、たまたま通りがかったテレビ局のロケ班から無人販売に花を出している曾祖母は取材を受けました。
「花束を無人で販売するなんて大丈夫ですか?」
というアナウンサーの質問に
「仏様にあげるものだから、ただで持っていく人は誰もいないので、お金が足りなかったことは一度もありません。みなさんのおかげでやっていけています。本当にありがとうございます。」
と明るい声ではつらつと答えていた姿が心に残っています。
今年の春は畑いっぱいにジャガイモを作って家族や親戚や近所の人たちに分けてくれました。お盆は花の注文で大忙しでした。
畑で働く曾祖母の小さな姿を見ていると、「働くって何だろう?」そんな疑問が頭に浮かんできました。
「なぜおばあちゃんは、そんなに働くの?」
「この年になっても夢があるから。ただ死ぬのを待っているわけにはいられないよ。」
と曾祖母は笑って答えてくれました。自分の畑を花いっぱいにするのが曾祖母の夢。来年のために花の苗をいくつ用意しようかと今日も計算をしながら考えていたようです。曾祖母がもつ夢。夢をもつことは生きる糧。夢をもつことは働くことの原動力。また、幾つになっても夢をもつことに遅すぎることはない。たくさんのことを僕に教えてくれる人生の大先輩の曾祖母。中学生の僕がもつ夢は獣医になること。
中学校に入って「働く」ことについての学びを続けています。「社会の一員としての役割を果たすため」であるとか、「お金を稼いで生活を安定させるため」のように「働く」ことは義務であり、大変なことであるというイメージが最初はありました。でも、将来の夢を語る友人たちの希望に満ちた表情を見たり、曾祖母にとって夢が生きる楽しみにつながっていることを知ったりするなかで、徐々に「働く」ことは明るいイメージとなり、「働くことは、自分の人生をより充実させたり楽しくしたりするもの」と思うようになりました。
そんな折、三年生になって「若き起業家に学ぶ会」で社長として活躍している山口さんの話を聞く機会がありました。
「笑われるくらいの夢をもちましょう。」
という山口さんの言葉がとても印象的でした。彼は大きな夢を叶えるために、目の前のことを少しずつ達成していくこと、失敗をしても諦めなければ、自分の夢に近づくということを僕たちに教えてくれました。
家族のために働くのが当たり前だった曾祖母の時代に比べ、今の僕たちは将来やりたいことを目指すことができます。それだけでも恵まれています。将来に向けての不安や心配はあるけれど、夢を叶える環境があることへの感謝を忘れず、勇気をもって夢を実現させるための一歩を踏み出していきたいです。そして、心の中にある夢の種に水をあげて、夢の花を咲かせていきたいと思います。「ドリームズカム トゥルー」を信じて。
評
「夢があるから働く」という九十四歳になる曾祖母の日々の姿が、川本さんに多くの影響を与えていることが感じられる作品でした。中学生が、自分の将来をはっきり思い描くことは難しいことですが、川本さんのようにきっかけを多くの中学生にもってほしいと思いました。