相手の気持ちを理解することとは
牧之原市立細江小学校 6年 朝比奈 和音

 私たちは、普段一人で過ごすことがほとんどない。学校にいても家にいても、いつも誰かと関わりながら毎日を過ごしている。そんな時に感じることが、「一人ひとりの考え方はちがう」ということだ。よく考えてみれば当たり前のことなのだけれど、どうしても自分中心に考えがちになり、人の意見を受け入れられないこともある。
 私はダンスを習っている。先生から、全員で動く振りの部分を自主練習するように言われた時、練習した方がいいと思う箇所がメンバーの中でそれぞれ違っていた。「限られた時間なのだから、そこを練習するよりもっと別の箇所を練習すべきではないのか。」と心の中で思いながらも、私は何も言えなかった。学校でも、友達と意見や考えが合わないことが何度もある。それは授業中でも休み時間でもだ。「それっておかしいよなあ。」と感じることも少なくない。
 しかし、どちらの場合でも後から気づくことがある。ダンスの時は、自分では気づかなかったことが分かり、もっと上手になるようなアドバイスをもらえることもあった。みんながそれぞれの思いを出し合ったことで、気をつけなければいけないポイントに気づき、よりよいダンスができたのだ。学校では、友達がどうしてそう考えたのだろうかと、さらに考える機会をもらえる。そして相手を理解しようとする。自分だけではなく、友達もさらに意見を出し、今まで気づかなかった新しい考え方が生まれることもある。人と人とで考え方が違うのは、とても大事なことだと感じる瞬間だ。
 では、相手を受け入れるということはどういうことなのだろうか。それは、相手の気持ちになって話したり行動したりすることだと思う。そしてそれは人と関わらなければ生きていけない私たちにとって、とても大切なことである。
 今年、オリンピックが開催され、私はとても気になることがあった。それは、競技の後、インターネット上で選手に対して誹謗中傷の書き込みがたくさんあったことだ。内容は様々だったが、選手にとっては知り合いでもなく、もちろん顔も見たこともない相手から、勝手な書き込みをされるのだ。そんなものは無視すればいいのにと始めのうちは思ったけれど、知らない相手だからこそ周りの人全てから責められているように感じてしまうような気がして、私は切なくなった。私は、父や母からSNSは注意しないととても怖いものだと言われていたが、その理由が分かった気がした。書き込みをしている人たちは、顔も名前も明かさないから気軽にでき、悪いことをしている意識もないと思う。そんなことがあってはいけない。一つの事実に対して様々な考え方があるのは当然だけど、そこに相手を思う気持ちがなければ、言葉や行動は人を傷つけるただの道具になってしまう。私は、そのことをいつも忘れてはいけないと強く思った。
 私は、小学校で運営委員会の委員長を務めている。みんなが笑顔で元気いっぱいになるような学校生活を目指して活動をしている。委員会では、どのような活動ができるのか相談しているが、目標を決める時にみんなの意見が分かれた。誰もが自分の意見を通したくて譲り合うことができず、なかなか決めることができなかった。そこで、意見を出してくれた人にもう一度その理由を聞いてみることにした。改めて聞いていみると、その人の学校や児童のみんなへの気持ちが伝わってきて、反対していた人もその意見に賛成して決めることができた。委員会のみんなが楽しい学校生活を目指しているのは同じなので、どの意見も間違っていない。だからこそ、どの意見も大切にしたいと思った。まとめる立場に立って初めてその難しさを感じたが、同時に、みんなの気持ちに気づいたり、大切にしたいと思ったりすることができた。「相手を受け入れる」ということはどういうことなのか本当に分かった気がした。
 これらの経験を通して、これから私は、自分の考えを持ち、どうしたら自分にとっても相手にとってもいい方向に向かっていけるのかを考えられる人になりたい。そのために私は、相手の気持ちを理解できるように、相手の目を見てしっかり話を聞くようにする。声だけでなく表情を見ることでさらにその人の気持ちが理解できると思うからだ。今はマスクを付けた生活で顔全体を見ることができないが、目だけでも十分伝わってくると思うし、私の気持ちも伝わるだろう。そして、相手の話を最後までしっかり聞けば、きっと相手も私の話を理解しようと聞いてくれるはずだ。そして、これからも私ができることを、考え続けていきたい。

人との関わりの中で、考え方の違いにどう対応していけばいいかという誰もが直面する課題に対して、身近なダンスと委員会運営の経験をもとに、これからの生活につながる主張ができている作品。和音さんが自分の力で力強く前に進んでいくことが期待できます。