しんぼう
磐田市立豊浜小学校 5年 西島 虎志
コロナが見つかってから二年くらい経ったけれど、感染者数はずっと増えたり減ったりしています。家族と会話をしていると、コロナの話が増えています。
「どんどん感染者数が増えているな。増えたり減ったりの繰り返しで、きん急事態せん言が出ているのに、街では遊んでいる人や買い物を楽しんでいる人がテレビにうつっているね。」
「そういう、少しくらいは大じょうぶでしょ、という気持ちがこの事態を招いているよね。」
と、お母さんとぼくは話します。ぼくは、この話題を耳にすると、この先本当にこれまでの生活に戻るのかな、と不安になります。マスクをしなくても友達と遊べたり、給食をみんなで向かい合って楽しく食べたりすることができる日が来るのかな、と考えてしまいます。家族で外食だって行きたいし、制限されずスポーツがしたい。県外に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんとも二年も会っていないから、早く会いたい。そんなたくさんの願いがぼくにだってあります。だから、そういった願いを早くかなえるためにも、一人一人のしんぼうが大事だと思っています。
ぼくは、柔道をやっていて、お父さんはかんとくでもあります。ぼくがつかれてばててしまって、弱い気持ちになっている時に、
「がまんじゃなくて、しんぼうだぞ。」
と言われます。がまんは人から言われておさえるもの、しんぼうは自ら目標に向かってがんばることだと、以前お父さんに教わりました。この言葉のちがいを教わってからぼくは、心の中の弱いぼくとたたかって頑張っています。
そして、この言葉の意味を知ったぼくは、学校から帰ってきて一息つきたい気持ちをふるい立たせて、トレーニングに取り掛かります。その後は、宿題とその日の学校の復習をします。その毎日のくりかえしが、自分にとって大切なことなのだと実感しました。強く、たくましくなりたいぼくは、毎日しんぼうとのたたかいです。「しんぼう」は、ぼくにとっていつまでも心にとどめておきたいまほうの言葉です。
今、この瞬間も、病院でコロナの治りょうに全力をそそいでいるお医者さんやかんごしさんは、だれよりもたくさんのしんぼうをして、根気強く頑張っているのだと思います。そういった医りょうじゅう事者のみなさんに、ぼくたちは感謝の気持ちをわすれてはいけないと思います。
きっと、戦争の後の日本だって国民みんなで歯をくいしばって協力して、しんぼうしたはずです。そうして、みんなでがんばることができれば、きっとコロナウイルスに勝つことができると思います。本当の平和とは、思いやりのある世の中だと思います。思いやりがあれば、自然と行動が自分勝手ではなくなると思うので、どんなことでも乗り越えられると思います。
今、コロナの流行は戦争と同じくらいぼくたちみんなが心を一つにして立ち向かう出来事だと思います。そのためにぼくができることは、手洗い、うがい、消どく、マスク、人混みにはいかないなど、油断しないで予防を徹底することです。今は、しんぼうの時なのだから、今のしんぼうが楽しい未来につながると信じて、みんなが心掛けられるといいなと思います。お父さんに教わった「しんぼう」という言葉は、ぼくが責任をもった行動をして、思いやりをもった人になるために与えてくれた課題であり、応援の言葉だと思っています。強くて、たのもしいお父さんに追いつけるように、ぼくは頑張ります。
ぼくは、早くコロナがおさまって、みんなが楽しく安心して元気に過ごせる日がくるといいなと願っています。そして、一人でも多くの命が助かることを祈っています。
評
コロナウイルス感染症の感染拡大、緊急事態宣言、そんな社会問題を、自分の内側(心)の問題として捉えているところがとてもすてきです。そして、自分の内側に目をむけるきっかけとなる「しんぼう」という言葉。お父さんの言葉を真直ぐに受け止め、生活に生かしていることが伝わってくるよい作品です。