第2095号2021年4月10日
子どもたちの思いに寄り添いながら

静岡県教職員組合
中央執行委員長

赤池浩章

人類の社会生活が著しく制限され1年余りが過ぎました。

「安全・安心な暮らしが当たり前ではなかったことに改めて気付かされるとともに、1日も早い収束を願います」

思い返せば、この1年間、様々な場での挨拶等において、この類の話に終始した感があります。学校における働き方改革や新学習指導要領への対応等についても話したり書いたりすることはありましたが、‘学校・教職員の現状や思いと乖離していないか’と自問自答し続けてきました。3月に開催した静教組第220回中央委員会において、各単組・支部の代表として参加されたみなさんに、感染防止対策を講じながらの教育活動に対する労いと感謝の思いを伝えさせていただきましたが、引き続き、学校現場の「今」に寄り添い、「先」を見据えた活動をすべての組合員とともにすすめていきたいと思います。

さて、日本における社会生活や経済活動は「平常時」を基本として展開されており、「緊急時」から‘元に戻す’ことが最優先されてきました。それは、発生から10年が経過した東日本大震災からの復興にも同様の姿勢が見受けられます。原発事故によって時が止まったままの福島県の一部地域を除き、東北地方の海岸線は整備され、高台に宅地が整備され、多くの人々は生活を取り戻そうと力強く生きています。本来ならば、昨年開催される予定だった東京オリンピックは、“日本は震災から復興した”ということを世界にアピールする絶好の機会と考えていた人が多かったことと思います。

しかし、どんなに環境が‘元通り’にされても元に戻すことができないものがあるのではないでしょうか。さらに、‘元通り’ではいけないものがあるのではないでしょうか。

2月13日に福島県沖で発生した最大震度6強の地震では、県内でも東部を中心に揺れが長く続き、停電も発生し、人々の記憶にある「あの日」が蘇ったことと思います。私のように東日本大震災による直接的な被害を受けなかった者でもフラッシュバックするくらい経験した恐怖や不安は記憶に刻まれていることを認識しました。まして、被災地で大切な家族を失った人々や厳しい避難生活を余儀なくされた人々の思いは想像を絶するものだと感じます。震災10年の特別番組で被災者が語っていた「私にとって10年の節目なんてない。ずっとあの日のままである」という言葉が胸に突き刺さりました。

桜の開花が報じられたニュース番組の中で、ある小学校での“1年遅れの卒業式”が取り上げられていました。昨年2月末の全国一斉臨時休校により卒業式もできずに小学校を巣立っていった中学生を招き、卒業式を挙行したものでした。参加した中学生はみんな真剣な面持ちであり、インタビューを受けた子どもの「これでやっと小学校を卒業できた感じがします」という言葉が印象的でした。新型コロナウイルス感染症はやがて収束し、生活は元通りになっていくものと思われます。学校においても「平常時」の教育活動が展開されていくものと思われますが、「私たちの生活は自然災害や感染症と隣り合わせにある」ということを前提とした‘戻し方’が大切であると考えます。

もうしばらくの間、「密にならない」「触れ合わない」「おしゃべりしない」ことを強いられる子どもたちの思いに寄り添いながら、個々の経験と感性を生かし、各学校(分会)、地域から静教組運動を創造的に展開していただくことを願います。2021年度もよろしくお願いします。