第2074号2020年4月10日
学校とは −笑顔と希望が集う場所−

静岡県教職員組合
中央執行委員長

赤池浩章

新型コロナウイルス感染症対策として政府より休校が要請され、県内では市町により休業日の設定に違いはあったものの、すべての学校が「異例の措置」を取ることとなりました。政府の対応については様々な思いがありますが、人命に関わることは何よりも優先されるべきものであり、静教組は各市町の情報収集や文部科学省からの情報を迅速に伝えることなど、学校現場の混乱を最小限にするための対応に努めました。今は、一日も早く事態が収束することを願うばかりです。

この一連の動きの中で、私は「学校は誰のために、そして何のためにあるのか」ということを改めて考えさせられました。卒業式に向けピアノ伴奏を懸命に練習している子、高校受験に友だちと一緒に立ち向かおうとしている子、年度最後の「お楽しみ給食」を楽しみにしている子…子どもたちはそれぞれの3月に気持ちを高めていたことと思います。突然訪れた「最終日」を子どもたちはどのように受け入れたのでしょうか。また、どのように対応すべきか相談する時間を与えられないまま「最終日」を迎えることになった教職員は、そんな子どもたちにどのように向き合ったのでしょうか。

感染拡大の防止にとって数週間が大切であったこと、学校はクラスターの要因になり得ることなど、休校措置の理由は否定できるものではありません。しかし、子どもたちのその後の人生にとって“学校の3月”は大切にされなければならないものであり、私たち教職員はもちろんのこと、保護者や地域住民、教育行政などの共通理解のもとでの対応が必要であったと考えます。各学校では、感染防止策を講じながら卒業式を挙行したり、教職員が一軒一軒訪問して卒業証書を手渡したりするなど、子どもたちの“節目づくり”に奔走しました。それは、子どもたちに対する教職員の思いそのものであり、政治や社会にその思いを強く受け止めて欲しいと感じます。

新型コロナウイルス感染症はパンデミック状態となり、世界中が市民生活に多大な被害を被っています。全校休校だけでなく外出禁止や商業活動停止などの措置がとられている国もあり、まさに“戦争状態”の様相を呈しています。その様子を報じていたテレビニュースでキャスターが「アフリカや中東など貧困・紛争地域では新型コロナウイルスは話題にすらなっていない」と語っていました。当該の地域では、より恐ろしい伝染病や殺りく、栄養失調による餓死などが常態化しており、新型コロナウイルスもそのうちの一つにしか思われていないことが理由のようです。

私は以前、日教組で働いていたときNPOと連携して紛争地域の学校を支援する活動に携わったことがあります。日本から贈られた学用品を手にして瞳輝く笑顔が並ぶ写真を見たとき、喜びよりも「何とかしなければ」という使命感を強くしたことを覚えています。解除されることが前提である休校措置と終わりの見えない紛争状態を並べて論じることはできませんが、子どもは人々の希望であり、学校は希望が集まる場所であり、平和の象徴であることを、パンデミックの中で世界は受け止めるべきと考えます。

子どもたちのゆたかな学びを支える教職員が組織する静教組の意義や社会的責任を肝に銘じて、皆さんから託された職務に静教組役員・書記一同邁進していきます。今年度もよろしくお願いします。