記憶を風化させないために~赤池中央執行委員長 年頭あいさつより(抜粋)~

2024年1月1日16時10分に発生した「令和6年能登半島地震」から1年が経ちました。能登地方では、昨年9月に豪雨による災害も発生し、復興はもとより復旧もかなり遅れている状況となっています。静教組は、連合・日教組からの要請によるカンパ活動やボランティア活動に、積極的にとりくんでいきます。そして、何よりも大切なことは、被災された皆様の思いに寄り添うことであると思います。何も手だてを講じなければ、災害は人々の記憶から遠ざかっていきます

テレビ・新聞等のメディアは、毎月1日に「能登半島地震から○か月」というタイトルを付けて報じてきましたが、今年も続けられるのかわかりません。東日本大震災は既に毎年3月11日近辺で報じられるようになっており、未だ住民が戻ってこない福島の現状も十分に伝えられているとはいえない状況です。東日本大震災も能登半島地震も、決して“過去”の災害ではなく、被災された方々にとっては“現実”であり、メディアはもちろん、私たち教育関係者には、“記憶を風化させない”責務があると考えます。

 

毎年様々な“メモリアルイヤー”を迎えますが、2025年は「阪神淡路大震災から30年」という節目の年を迎えています。1995年1月17日5時46分に発生した兵庫県南部地震により、死者・行方不明者6,437人という甚大な災害に見舞われました。

今、神戸市を訪れても“震災の姿”を見ることは稀であると思いますが、家族や知人・友人等が犠牲となった方々も多く、30年はまだ“過去”ではないと感じます。また、兵庫県教職員組合では、毎年“追悼の夕べ”を挙行し、震災の教訓を後世に伝えることも継続しているとのことです。

 

一方、1945年8月15日の終戦から80年の年月が経過する“戦争の記憶”は、体験者の他界や高齢化と共に、“風化”の一途を辿っているといわざるを得ない状況となっています。それは、国内外の権力者も同様であり、20世紀に2度に渡る世界大戦によって多くの尊い生命が犠牲となった教訓から、世界平和や国際協調の実現に向けて組織された国連等の国際機関や国際規律を反故とし、“戦争の道”を突き進む動きが広がっています。

数十年後、2025年を起点とした“負の歴史”が刻まれることがないよう、日々の教育活動と共に、私たちのとりくみを続けていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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