言葉を使うとき
浜松市立曳馬小学校 6年 鈴木 希実

 五月のある日、テレビをつけたら、女子プロレスラーの木村花さんが亡くなったことを伝えていた。亡くなった理由は、会員制交流サイト(SNS)に悪口を書き込まれたことによるものだそうだ。私は、このことを知った時、言葉で人の命をうばうことができると知り、言葉がとてもおそろしいものに思えた。一回でも言われたら傷付くような言葉を、何回も言われて、木村花さんはつらかっただろうし、生きているのが苦しかったと思う。そう思うのと同時にどうして、悪口を書き込んだ人は、人を傷付け、大切な命をうばうようなことをしたのだろうと疑問がわいた。
 まず理由でうかんだことは、その人が言葉の力を知らないということだ。言葉の力を知らなければ、どの言葉が相手を傷付けるので使ってはいけないのかが分からない。だから自分が思ったことを反射的に使ってしまうのではないか。
 次に思ったのが、SNSという特殊な場合だからではないかということだ。SNSは、多くの人が利用している。それにより、自分と同じ意見を書き込んでいる人がたくさんいると、自分の意見は正しいと思いこんでしまう。これがエスカレートし、どんどん相手を追いつめてしまうのではないか。
 私の小学校では、六月十二日は、命について考える日だ。毎年、みんなで命について考えている。その日の朝会で、校長先生は「言霊」について話をしてくださった。「言霊」とは、言葉の持つ不思議な力のことだ。私はその話を聴いて思い出したことがある。
 私が三、四年生の時のことだ。私には二つちがいの妹がいる。妹なので、どうしても母は妹の方にかまってしまう。当時の私は、もっと母にあまえたいと思っていて、さびしさを感じていた。けんかになった時、そのことを言い、つい口まかせに
「あんたなんかいなきゃよかった。私一人の一人っ子がよかった。」
と言ってしまった。妹がだまったのでいい気味だと思ったが、母の悲しそうな顔を見て、はっとした。自分がどれだけのことを言ってしまったのかが分かった。いない方がよかったということは、生まれない方がよかったということ。つまり、私は、妹の存在を否定してしまったのだ。「死ね」とか「きえろ」と同類の言葉を使ってしまった。その時の後悔を思い出した。たった一つの言葉で相手をどん底に落としてしまう、このことを学んだ経験だ。
 「言霊」は、言葉の「言」にたましいという意味を持つ「霊」と書く。言葉には、一つ一つたましいがあるのかもしれない。言葉によっては、人の心をおそい、悲しい気持ちにさせる力を持ったたましいが宿る言葉がある。反対に、人の心を温かくさせ、うれしい気持ちにさせる力を持ったたましいが宿る言葉もある。言葉は使い方によっては、相手も自分も幸せにできるし、傷付かせたり、悲しい気持ちにさせたりしてしまうこともできるのだ。両方の面を持つ「言葉」。使い方をしん重に選ばなくてはならない。
 今の時代、インターネットに簡単に自分の意見や言葉を発信できる。このことにより、言葉を使う機会が少し増えたのではないか。SNSは、自分の意見を多くの人に知ってもらえるというよい点がある。しかし、こわい部分もある。まず、顔や名前が分からないという点だ。どこのだれから言われているのか分からない恐怖がある。もちろん対面で同じようなことを言われるのは、傷付くけれど、だれが言っているのかは分かる。それに比べSNSでは、だれか知らない人たちから言われているという恐怖が加わり、より追いつめられてしまう。次に、数えきれないほどの大人数から言われるということだ。SNSは、たくさんの人が利用している。このことにより、多くの人からいっせいに攻撃される。それが長い間続くのだ。一人から言われるより大勢で言われる方が傷付くのが大きい。こんなことが平気な人は、世界中に一人もいない。
 しかし、SNSなどの中で言葉の使い方を誤り、相手に悲しい思いをさせている人がいる。言葉には、多くの力があることを知ってほしい。そして、私は、会話はもちろん、SNSなどでも言葉を使うとき、一歩立ち止まって考えてほしいと思う。
「この言葉を使ったら、相手はどう思うだろう。」
と。相手のことを考える。簡単なようで難しいけれど、一人一人このことを考えるようにすれば、世界中に、人の心を温かくさせ、うれしい気持ちにさせる力を持ったたましいが宿る言葉であふれるだろう。そうなれば、木村花さんのように亡くなる人もいなくなると思う。

温かさと怖さ。言葉のもつ力を、自分が感じた体験をもとに深くとらえていますね。誰もが日々使い、多くの人に向けて発することのできる時代だからこそ一人一人が「相手のことを考える。」ことが大切なのですね。希実さんの作品もまた、そうした温かさのこもった「言霊」があふれています。