「言葉」という凶器
富士市立吉原第一中学校 3年 川上 紗由花

 「正直、あいつと一緒にいるの、めんどくない?」
廊下から聞えてくるその声。響き渡る笑い声と一緒に、思わず深い溜息(ためいき)をついてしまう。これで何回目だろうか。耳に入ってくる、誰かしらの悪口。ある一人が見知らぬ誰かに対して持った不満が、「噂」としてまた誰かに伝わり、まるでウイルスのようにじわじわと広まっていく。そしてその裏側では、他の誰かが今度はその人の悪口を流していたりすることもある。でも実は、こんなことを深く考えて悩んでいても、翌日になれば、「親友」という恒例の合言葉で、何事も無かったかのように、全てが白紙の状態に戻されるのだ。
 私は、ここ数年、毎日のように同じ言葉を口にしているような気がする。
「結局友達に戻るくらいなら、悪口なんて言わなきゃいいのに。しかもそれを自分から他の人に撒(ま)き散らすなんて、正直、どうかしている。」
すると、母は決まってこう言う。
「きっと、生き方が上手い人なのよ。」
幼稚な私には、何度考えてもこの言葉が理解できない。きっと、五年後、いや十年後、私が本当の意味での「大人」になった時には、母のこの一言を理解できる日がやってくるのだろうか。でも、この文章を書いていくうちに、少しだけ分かったような気がする。きっとこの世界には、『悪口=友達付き合いの一種』という定法が存在するのではないだろうか?そこで、私はこの機会に、声を大にして伝えたい。「容易(たやす)く人の心を傷付けてしまう、鋭く、尖った言葉はナイフのような凶器となんら変わりないのだ」と。
 さて、多くの人は、この、「人を傷付ける」という言葉から、「いじめ」という言葉を連想したのではないだろうか。今や、この「いじめ」は、日本の数ある『SNS』でも行われているのだ。以前、私がニュース番組で見た「ネットいじめ」の特集を例に説明する。まず、SNSの代表格ともいえる、『LINE』。無料でメッセージのやり取りができたり、電話をかけることもできる便利なアプリである。しかし、その裏には大きな悪魔が潜んでいる。LINEには、「グループ機能」というものが存在する。それを利用し、「裏グループ」を作り、いわゆる『集団いじめ』を行う小中高生がいる、ということを初めて知った。ちなみに、そのグループの名は、『○○ちゃん撲滅隊』であるという。実際にその「集団いじめ」に加担していた女子高生へのインタビューでは、
「今どき、いじめが無い方がおかしいですよ。単に、いじめがしやすい環境なんです。」
まるで、「自分は悪くない」と言わんばかりの笑顔で、彼女は言った。「仲間外れ」にされまいと、カースト制度の上位に居続けるために、この意見に賛同してしまう、という人も中にはいるだろう。友達との楽しいトークアプリのはずが、自分が良ければそれでいい、という身勝手な考えのせいで、一瞬で戦場と化してしまう。また、別のSNSアプリ、「インスタグラム」でも、現にこのようなことが行われている。インスタグラムには、「ストーリー」という、通常の投稿とは別に、二十四時間で自動的に消える投稿ができる機能がある。この「二十四時間で自動的に消える」という点を利用し、特定の人物に向けた悪口や愚痴を投稿する中高生の存在。また、この「ストーリー」には、「親しい友達」という機能があり、この設定をすることで、ある特定の人だけに向けた投稿ができる、という仕組みだ。もし、自分が『親友』だと思っていた人のインスタグラムで、この「親しい友達」に自分が登録されていないことを知ったら、どんな気持ちになるだろうか。
 上記のSNS以外でも、「いじめ」や「嫌がらせ」は、世界中で日常茶飯事に行われている。「いじめ」に対する自分の心の在り方を、もう一度見つめ直してみる…。そして、「いじめ」や「嫌がらせ」に加担することなく、また、人からの悪口に反応することもなく生きてきて、「私って、生き方が下手なのかな」と悩んでいる、そんな人に伝えたい。あなたのその心は、「正義」そのものである、決して間違いなんかではないのだ、と。

上手な生き方とは何でしょう。相手の笑顔の裏を想像し、まるで壊れ物のように築いていく人間関係に不安を感じている人は、実はたくさんいるはずです。生き方が下手だと思われても、誠実でいたい、そう思っている人たちに勇気をくれる作品です。