今を生きる
吉田町立吉田中学校 3年 増田 実桜

 「ねえねー。ねえねー。」
夢の中の弟は、はしゃぎながら私を呼んでいます。
 弟は二歳の時、頭の中に腫瘍が見つかりました。一回目の治療は成功しましたが、その六年後に再発してしまいました。医師から手術をしても治るのは難しいこと、入院生活が長くなる説明を受けました。弟は手術をしないで残りの時間を家で家族と過ごすという選択をしました。
 弟は、それから半年間、ふらつきや目の障害と闘いながらも学校に通うことができました。より目で他人からジロジロ見られることが辛そうでした。しかし、親友や先生に支えられ、楽しく学校生活を送ることができていました。弟は、いじめられている子を見つけると、自分から話しかけて、友達が増えていったことをよく話してくれました。弟は、家でもお笑い芸人のまねをしたり、自慢のプヨプヨのお腹を触らせてくれたりと、家族をたくさん笑わせてくれました。
 その後、弟は激しい頭痛と闘うようになりました。自分が一番辛いのに「ありがとね。」と感謝の言葉を口にすることも多く、普段から家族のことを一番に考えてくれていました。
 私が中学一年生の秋、弟の体は動かなくなり、目を開けることも難しくなりました。母は、仕事を休み、弟の看病を寝る時間を削りながら熱心にしていました。父も毎日早く帰宅し、家族を支えていました。「いつ何が起きるかわからない」まさにこの言葉の状況でした。
 春になろうとする頃でした。弟の様子を見る限り、誰も言葉には出しませんでしたが、危ないかもしれないと私は思いました。こうなる覚悟はできている。そう自分に言い聞かせましたが、想像するだけで涙が止まりませんでした。
 そして、私がもうすぐ二年生になろうとしていた三月、弟は家で家族に見守られながら天国へ旅立ちました。
 人は、生まれた以上必ず死を迎えます。
 私も弟が元気なときは、毎日の生活に流されなんとなく過ごしていました。普通に生きていると、自分の時間が限られているとはなかなか思えません。生きている時間の大切さなど感じたことはありませんでした。しかし、弟の体験を通して、いつまでも時間があると思うのは大きな間違いだったことに気づかされました。人生の時間は限られています。生きている時間はあたりまえではなく、こうして毎朝目を覚ますことができることも奇跡なのだと強く感じています。また、生きている間をどう過ごすかも大切だと思います。生きている時間を無駄にしたら、生きたくても生きられなかった方に申し訳ないです。生きている人は、生きられなかった方の分まで自分の命を大切にする使命と役割があるのだと思います。
 その他にも私には、弟の行動から気がついたことが三つあります。
 一つ目は、いつも笑顔でいることです。毎日生活をしていると良いことばかりでなく笑えない日もたくさんあります。しかし、一日という貴重な時間をくよくよ過ごすのはもったいないことです。良いことや自分の役割を見つけ、前向きに考え直すことで笑顔で過ごす時間を増やすことが大事なのだと思います。
 二つ目は、周りの人への感謝を忘れないことです。人間は、周りの協力がないとできないことばかりです。しかし、与えられた環境があたりまえだと感じてしまうと、感謝ができなくなってしまいます。あたりまえはありません。いつも素直に「ありがとう」と言える人になりたいです。
 三つ目は、人を差別せず思いやりの心をもつことです。
 どんなことでもそれを苦手とする人がいます。しかし、その人は別の場所で輝くことができます。苦手なところに注目するとその人を責めてしまいますが、良いところを見つけて認めることが大事なのだと思います。
 あれから一年半が経ちました。弟に会えなくなったことは、さみしいですが、私の心は不思議ととても落ちついています。十年の命を一生懸命生きた弟は、私の誇りです。
 弟は、いつも私の中にいます。私は姉として恥ずかしくない生き方をしようと決心しました。弟が、限られた時の中で命をかけて伝えてくれたメッセージを深く胸に刻み、私は弟の分まで一分一秒を大切にして今を生きていきたいと思います。

「一分一秒を大切にして」という最後の言葉には、弟さんとの別れに裏打ちされた、実感のある言葉の重みを感じました。生きていることは当たり前でなく、奇跡。「笑顔」「感謝」「思いやりの心」の三つを忘れないという思いは、実桜さんの体を通して伝えられた弟さんの言葉であるとも捉えられます。姉として人としての決意を感じることができました。