私にだってできること
浜松市立広沢小学校 6年 平川 莉紗

 私は小さい頃から長い髪が大好きだ。なぜなら二つに結んでみたり、ポニーテールにしたり、また髪をおろしてカチューシャで前髪を上げてみたりと色々とアレンジを楽しむことができるからだ。幼稚園の頃からずっと長い髪の毛は可愛(かわい)いと思っていた。
 そんなある日、新聞を読んでいた母が急に私に言った。
「莉紗ちゃんにしかできないボランティアがあるよ。」
と。その記事はヘアドネーション、つまり髪の毛の寄付についてであった。病気や、薬の副作用で髪の毛を失ってしまった十八歳以下の人に人毛のウィッグをつくってあげようということであった。一つのウィッグを作るためには、三十一センチメートル以上の長さの髪の毛が最低でも二十人分は必要だそうだ。そのときの私は「へー、そうなんだ。」と聞き流していた。なぜなら私は、自分が三十センチメートルも髪の毛を切る気持ちなど全くなかったからだ。
 一年ほど経(た)って、私は母の知り合いのショートカットの似合う素敵なアメリカ人女性に会った。彼女は腰まであった髪の毛を数か月前にバッサリ切って、ショートボブにしたそうだ。そして驚くことに、今まで数回、ヘアドネーションをしているとのことだった。
 欧米では日本よりこの活動は活発で、ヘアドネーションは珍しいことではないらしい。そう言われて、母とインターネットで検索してみたら、なんとオーストラリアでは男子でもヘアドネーションしている人がいた。
 そして、一番私の目をひいたのは、実際にウィッグをプレゼントされたある少女の喜びのコメントだった。髪の毛が抜けて、外出することも嫌だったその子が美容師さんとともにウィッグを使ってなりたい髪型にしてもらって心底喜んでいる様子が伝わってきた。当時三年生だった私もなんとなく、髪の毛を寄付するということは誰かが笑顔になれるのかなと理解し、そして母の
「これはあなたにしかできないことよ。」
という言葉にも納得することができた。
 しかしながら、いざ、美容室で髪の毛を切る段階になって、急に悲しくなった。やはり長い毛がいい、と思ったが、後戻りできない気がしてしぶしぶ切ってもらった。切ったあとのショートヘアもなんだか気に入らなかった。その日の夕食では家族中で私のことをほめてくれた。その話を聞いた祖母までもが電話してきてほめてくれた。誰にほめられても、なぜかあまり嬉しくなかった。髪の毛なんてすぐ伸びるでしょう。と言われるのも自分でもわかってはいるが、人に言われると反発したくなった。翌日、学校で誰かに聞かれるのもなんだか嫌だし、もう二度とヘアドネーションなんかしないと思った。
 あれから三年半経って、私は六年生になった。今年の六月、私は二回目のヘアドネーションをした。もちろん、誰に指示されたわけでもなく自分の意志で決めたことであった。
 高学年になると学校でも、ユニバーサルデザインについて学んだり、高齢(れい)者との関わりを体験する機会が増えてきた。また毎年のように洪水や地震災害が日本のどこかで起こり、その度にボランティアで活動している人の重要さと尊さをテレビや新聞で見聞きするようになった。
 小学生の私にはお金も体力もないけれど、今の自分ができること、つまり、自慢(まん)の長い髪の毛を切って寄付するだけで誰かを少しでも喜ばせてあげられるのなら、それも、大切なことではないかなと思うようになった。
 もし私が学校の朝会で全校生徒に呼びかけたら、そしてもし数名の人でも賛同してヘアドネーションをしてくれたら、病気と闘っているもっと多くの同じ世代の人達が笑顔になれるのではないかなと思う。他人に「善意の強要」はできないけれど、私自身はこれからもヘアドネーションをしていきたいと思っている。

ヘアドネーションの意義や、「あなたにしかできない」というお母さんの言葉に納得しつつも、髪を切ることへの抵抗を感じていた幼い莉紗さんが、自分の意志で自分にできることを始めた姿がとてもすてきです。莉紗さんの思いが周りの人に広がっていく日が楽しみです。