おたがいを理解し合うこと
浜松市立相生小学校 6年 和田 優那

 私たちが住む浜松市は、ブラジル国せきの住民が八千八百人あまりと政令市で最も多く、約二万二千人以上の外国人が住んでいる。学校にも様々な国せきの子がいて、一緒に勉強したり遊んだりすることが当たり前の日常になっているが、ある日こんなことがあった。
 私の家族の知人にも、日系ブラジル人がたくさんいる。先日、母がさみしい顔でその知人から聞いた悲しい出来事を話してくれた。その人は見た目はほとんど日本人と変わらない感じの男の人で、引っ越しのために物件を探していたという。そこで気に入ったマンションが見つかったため、けい約を進めたいと思い、ブラジル人の奥さんを連れてもう一度物件を訪れた。しかし、担当の人は見た感じもブラジル人の奥さんの顔を見た後、とつ然けい約を断ったという。
 私も母も初めはなぜそのようになったのかが理解できなかったが、ブラジル人に部屋を貸すことで部屋の使い方や声の大きさなどの心配をしなくてはならず、特に新しい物件では外国人がけい約を断られるけい向があることを知った。私はその話を聞いて、とてもおどろいたし、それと同時にすごく申し訳ない気持ちにもなった。しかし、このようなことは初めてではなかったそうだ。外国人ということだけが理由で様々な場面でうまくいかないことがあり、何度も悲しい思いをしてきたらしい。もう何年も仲良くしてきたのに、「いつも親切にしてくれてありがとう。」などと細やかな日本人的なあいさつが自然と出てくる物静かな夫婦にそんなことがあったということを、この日、私は初めて知った。
 確かに部屋をできるだけきれいに使ってもらいたい、住人がおたがいに気持ちよく住めるように配りょしたいという気持ちはよく分かる。でも、それは日本人なら良いのか。外国人にはそれがのぞめないのか。私はその人のことを知ってから判断するべきであると思う。しかし、私も日本人の国民性をひとくくりに考えていた。災害があれば助け合い、礼ぎ正しく、思いやりがあり、おもてなしの心があると。私はそれを、とてもほこらしいことだと思っていた。しかし、そんな出来事があってもそう言えるだろうか。だから、こう考えるのはどうだろう。
 国せきが違えば国民性も違い、文化や風習だってことなる。同じ日本人であっても、育った環境が違えば感じ方や考え方も違うものだ。だから、日本人同士で接するときと同じように、その人の背景を理解しようとすることが大切なのではないだろうか。一生けん命日本語を覚えてこの国になじもうとしてくれている外国の人たちを、私たちからも歩み寄っていくことが必要なのではないかと思う。色々な国せきの人の子と友達になることができる今の浜松の環境はとてもめぐまれていて幸せだと思う。だから私にできることは少ないかもしれないけれど、みんなで同じような気持ちを持って、国せきや文化にかかわらず理解し合える仲間の輪を大きくしたいと思っている。

優那さんは身近に起きた出来事をきっかけに深く考え、外国人と言うだけで差別をしないで、同じ人間として理解していきたいと主張します。国際化がすすむ社会の中で大事な課題について、じっくり考えている姿勢が素晴らしいと思います。